クラゲ化計画

すこし疲れたから休もう。

クラゲでよかったって気づけました

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当たり前のことに気づくのってなかなか難しいです。

クラゲの見た夢日記

さっきひどく恐ろしい夢を見たんです。ぼくはA空港のラウンジから外を眺めながら、エスプレッソを飲んでいました。夢の中で飲む苦いコーヒーに味はなく、ただただカフェインの浮遊感だけを感じる心地でありました。ぼくの目の前には知らない人が一人、親しげな表情を浮かべています。昔から人の顔がうまく覚えられません。きっと今書いている原稿の取材で、この人に会いに来たのだと自分自身を納得させました。そして3杯目のエスプレッソを飲み始めた時、周囲はざわつき始めます。窓の外で飛行機が綺麗に弧を描いて少し離れた場所へと墜落しました。知らない人は相変わらずニコニコしながら大変だねぇなんて言っていましたが、ぼくの心はひどく冷めていて、すぐにその場から避難することにしました。外の飛行機は冷静さを失ってやけになった子供のように、飛んでは落ち、飛んでは落ちを繰り返していました。

空港内は非常事態にもかかわらず、やけに閑散としておりました。ただその中でも、空港で会うはずのない知り合いの人達とだけは、時折すれ違うのです。その人達は皆仲の良い関係であったにも関わらず、総じて互いを裏切りあっていました。詳細な内容を書くとマルキ・ド・サドの小説のようになってしまいますのでここでは割愛しますが、なぜこんなことをしているのか、ぼくにはさっぱり理解ができませんでした。ひどい気分です。見たくないものを永遠と見せつけられるのはこうも苦痛なのですね。『時計じかけのオレンジ』でアレックスが受けたルドヴィコ療法を受けているようでした。きっとぼくの場合は、ベートーヴェンの第九ではなく、バッハのG線上のアリアが代わりとなるのでしょう。

泣きながら空港を後にして、すぐ目の前の山に登りました。山小屋ではサンドウィッチとコーヒーと革のポーチがセットで700円で売っていました。ぼくは革のポーチが欲しくて、そのセットを買おうとしたのですが、どうしても売ってもらえず、悲しい思いをしているところで目が覚めました。

こうして見たものをそのまま書いてみると、支離滅裂で仕方ありませんが、起きた時の気分は最悪でした。特にルドヴィコ療法のあたりはかなりきつかったです(夢とは得てしてそのようなものである気もしますが)。でも、起きて恐る恐るG線上のアリアを流してみたところ、ぼくの身には何も苦痛はなく、ただ心地よい音楽に包まれるだけでした。

ぼくにとって他人の裏切りや柵は関係ないのです。チョモと人間は柵の中。クラゲには関係ありません。クラゲで良かった。って素直に思いました。この気持ちさえ忘れなければ、世の中ってそんなに悪くないはずです。ランチをアンハッピーセットで我慢できれば、なおさら余裕。クラゲ化計画は今日も計画通り。