すごくおすすめです。
早退すると早く帰れる
今まで隠していたわけではありませんが、ぼくは昔から早退を憎からず思っていました。
いえ、むしろとても尊いものとして崇め奉っていたのです。
疲れた時や辛い時は、心にも身体にも鞭を打つ必要はありません。
帰って休めばいいじゃありませんか。
ぼくは、利己主義が暴走した結果「副産物」として生まれた海のように広い心を自己肯定し、毎朝霞ヶ関の方角に向かってその旨を唱え続けるのでありました。
しかし世の中はあまりにも非常。
世間には冷たい風が吹き荒れております。
人々は自分が苦しむ事も忘れ、ただただ足を引っ張り合い、監視社会は今日も平常稼働…
社会の闇が見えてしまいそうです。
遠い昔の根性論が今もなお正当化されている、この御国はもしかしたら戦国時代から何も変わっていないのかもしれない。
怠け者のレッテルを全身にペタペタと貼られているぼくにとっては非常に生きづらさを感じてしまいます。
そしてそれは同様に、今を生き抜く多くの人々にも当てはまるように思えるのです。
早退をしようとする人々の心には、なぜか少なからずの罪悪感…もはや良心の呵責と言っても過言ではない程に…
ああなぜそう思うのですか。
ぼくはもし人間に戻るのであれば、優しい人でありたい。
体調を崩しているのは自身の管理不足と言われればそれまでですが、それはあまりに辛辣じゃありませんか。
世の中助け合いだと思うのです。
保険係の役目は弱った人にとどめを刺すことではありません、人類もクラゲもみな1つの宇宙に過ぎない。共に助け合おうじゃありませんか。
そんなことをとめどなく周囲の人間達に語りかけていた甲斐もありまして、本日は気がついたら早退しておりました。
ただ残念なことに、そこにぼくの意思はなく、気づいたら見知らぬ天井、いえ、自宅のベッドの上で寝ていたのです。
早退してみて思ったこと
謀らずとも早退してしまった自分の才能が恐ろしい。
ただそれも良しとしましょう。はやく帰れたことに他ならないのですから。
時間とは命。
人間もクラゲも残りの生きていられる持分を時間でしか表現できないのですから、これはつまり立派な延命治療とも呼べるでしょう。
資本家に搾取されるはずだったぼくの命(数時間)がこうして(寝ていたので無意識ではありますが)自身の血となり肉となり有意義に活用される、今まさに生きる歓びをひしひしと感じております。
踊り出したい気分です。
まとめ
風邪が悪化しすぎて倒れたぼくを職場の人が家まで運んでくれたみたい。
ぼくの部屋のテーブルの上には、昨日の夜眠れないから食べた大量のたべっ子どうぶつの箱が置いてあって、明日からの職場でのあだ名に希望が持てなくなったので、こうして記事にしました。
無意識に早退する時は、たべっ子どうぶつの箱を自宅に放置するべからず。
本日の格言ですね。
風邪でしんどくても、ゴミはゴミ箱に捨てよう!